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最高裁判所第一小法廷 平成6年(オ)651号 判決 1998年9月10日

上告人

植村友絵

右訴訟代理人弁護士

江口保夫

江口美葆子

豊吉彬

窪田雅信

同訴訟復代理人弁護士

中村威彦

被上告人

都城市

右代表者市長

岩橋辰也

右訴訟代理人弁護士

後藤好成

右指定代理人

高田橋厚男

外二名

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人江口保夫、同江口美葆子、同豊吉彬、同窪田雅信の上告理由第一点及び第三点について

一  原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  上告人は、昭和六三年九月四日、その所有する普通乗用車を運転中、都城市内の交差点において寺師富士雄運転の普通乗用車と出会い頭に衝突し、寺師に頸椎捻挫等の傷害を負わせた。寺師は、右同日から平成元年四月八日まで入院又は通院して治療を受けた。

2  被上告人は国民健康保険事業を行う保険者であり、寺師はその被保険者である。寺師が受けた治療は、国民健康保険法に基づく療養の給付として行われた。右療養の給付に要した費用の総額は九六万七六五〇円であり、そのうち被保険者である寺師が負担しなければならない一部負担金(以下「寺師の一部負担金」という。)の額は二九万〇二九五円、保険者である被上告人が負担した額は六七万七三五五円であった。

3  寺師は、上告人が契約していた自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)の保険会社に対して、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)一六条一項及び一七条一項の規定に基づく支払請求を行い、保険会社から、昭和六三年一〇月一九日に仮渡金二〇万円、平成元年二月一七日に損害賠償額の内払金四〇万円、同年三月一五日に同じく内払金四〇万円、同年五月一一日に損害賠償額の残金二〇万円、以上合計一二〇万円の支払を受けた。

4  損害賠償額の支払に当たり保険会社が算定した損害の内訳は、次のとおりであった。

(一)  平成元年二月一七日支払の内払金四〇万円は、昭和六三年九月四日から同年一〇月三一日までの寺師の一部負担金並びに同時期の休業損害及び慰謝料を合計した額から前記仮渡金二〇万円を差し引いたものの内金

(二)  平成元年三月一五日支払の内払金四〇万円は、昭和六三年一一月一日から同年一二月三一日までの寺師の一部負担金、同時期の慰謝料及び(一)の残金を合計した額の内金

(三)  平成元年五月一一日支払の残金二〇万円は、昭和六三年九月四日から平成元年四月八日までの寺師の一部負担金、同時期の休業損害及び慰謝料等の総損害額を一九四万余円と認定し、保険金額の上限である一二〇万円から既払分一〇〇万円を控除した残額

5  本件事故は上告人及び寺師の双方が安全確認を怠って交差点に進入した過失によって生じたものであり、上告人は寺師の負傷について自賠法三条又は民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負うが、寺師の進行方向に一時停止の標識があったため、過失割合は、寺師が七割で、上告人が三割である。

本件事故によって寺師に生じた総損害額は四〇〇万円を超えず、したがって、寺師が上告人に対して有する損害賠償請求権の額は一二〇万円を超えない。

二  本件は、寺師に対して療養の給付を行った被上告人が、国民健康保険法六四条一項により、右療養の給付に要した費用の額から寺師の一部負担金に相当する額を控除した六七万七三五五円のうち、寺師に七割の過失があることから過失相殺による減額をした後の額二〇万三二〇六円について、寺師が上告人に対して有する損害賠償請求権を代位取得したとしてその支払を求めるものであり、上告人は、保険会社から寺師に一二〇万円が支払われたことにより、上告人としての損害賠償義務を尽くしているから、被上告人は寺師の損害賠償請求権を代位取得せず、仮にそうでないとしても被上告人の代位取得した損害賠償請求権は消滅したなどと主張した。

三  原審は、前記事実関係の下において、次のとおり判示し、本訴請求を認容すべきものとした。

1  保険会社から支払われた一二〇万円は、その算定の内訳によれば、寺師の一部負担金、休業損害及び慰謝料であって、療養の給付に関して被上告人が負担した費用は含まれていない。したがって、被上告人が負担した費用の額に相当する損害賠償請求権については支払があったとはいえず、同請求権が消滅しているということはできない。

2  また、寺師が上告人に対して有する損害賠償請求権は、療養の給付の都度、療養の給付に関して被上告人が負担した費用の限度において被上告人に移転するところ、保険会社の支払は、その算定の内訳に示された治療期間からすると、いずれも療養の給付の後にされているから、被上告人が既に代位取得している損害賠償請求権に消長を来さない。

3  前記仮渡金はその性質上損害賠償金として支払われたものではないから、右支払をもって損害賠償があったとはいえない。

四  しかしながら、原審の右判断はいずれも是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  国民健康保険の保険者が被保険者に対し療養の給付を行ったときは、国民健康保険法六四条一項により、保険者はその給付の価額の限度(ただし、被保険者の一部負担金相当額を除く。)において被保険者が第三者に対して有する損害賠償請求権を代位取得し、右損害賠償請求権は、その給付がされた都度、当然に保険者に移転するものである(最高裁昭和四一年(オ)第四二五号同四二年一〇月三一日第三小法廷判決・裁判集民事八八号八六九頁参照)。しかしながら、同法六四条一項は、療養の給付の時に、被保険者の第三者に対する損害賠償請求権が存在していることを前提とするものであり、療養の給付に先立ち、これと同一の事由について被保険者が第三者から損害賠償を受けた場合には、これにより右損害賠償請求権はその価額の限度で消滅することになるから、保険者は、その残存する額を限度としてこれを代位取得するものと解される。

国民健康保険の保険者が交通事故の被害者である被保険者に対して行った療養の給付と、自賠責保険の保険会社が右被害者に対して自賠法一六条一項の規定に基づいてした損害賠償額の支払とは、共に一個の交通事故により生じた身体傷害に対するものであって、原因事実及び被侵害利益を共通にするものであるところ、右被保険者が、療養の給付を受けるのに先立って、保険会社から損害賠償額の支払を受けた場合には、右損害賠償額の支払は、右事故による身体傷害から生じた損害賠償請求権全体を対象としており、療養に関する損害をも包含するものであって、保険会社が損害賠償額の支払に当たって算定した損害の内訳は支払額を算出するために示した便宜上の計算根拠にすぎないから、右被保険者の第三者に対する損害賠償請求権は、その内訳のいかんにかかわらず、支払に応じて消滅し、保険者は、療養の給付の時に残存する額を限度として、右損害賠償請求権を代位取得するものと解すべきである。

2  また、前記仮渡金は、自賠法一七条一項の規定に基づいて支払われたものであるところ、仮渡金が、同法一六条一項の規定に基づき支払われる損害賠償額の一部先渡しであることは同法一七条一項の解釈上明らかであるから、仮渡金の支払によって全体の損害賠償請求権がその支払額だけ消滅するものといわなければならない。

3  これを本件についてみるに、前記事実関係によれば、被上告人が寺師に対して行った療養の給付は昭和六三年九月四日から平成元年四月八日にかけて行われたものであるところ、保険会社の寺師に対する損害賠償額の支払は前記一の3のとおりであって、そのうち昭和六三年一〇月一九日から平成元年三月一五日までの三回にわたる支払(合計一〇〇万円)は右療養の給付の期間内にされたものであることが明らかであり、いずれも右療養の給付の後にされたということはできず、被上告人は、療養の給付の時に存在する損害賠償請求権の額を限度とし、療養の給付をした都度、被上告人の負担額(ただし、過失相殺による減額をした後の額)に相当する額の損害賠償請求権を代位取得するにすぎないというべきである。そして、右事実関係の下において被上告人が代位取得する損害賠償請求権の額を算出するには、寺師の上告人に対する損害賠償請求権の総額を明らかにした上で、右総額から、療養の給付の価額のうちの被上告人の負担額(ただし、過失相殺による減額をした後の額)と保険会社から寺師に支払われた損害賠償額とを、時間の経過に従って順次控除してゆき、被上告人の行った療養の給付の都度、寺師の上告人に対する損害賠償請求権がなお残存しているかどうかを明らかにする必要があるところ、原審の認定したところからはこの点が明確ではなく、被上告人が代位取得する損害賠償請求権の額を算出することはできないものといわざるを得ない。

4  したがって、原審の判断1ないし3にはいずれも法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ず、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、被上告人が代位取得した損害賠償請求権の額について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする(なお、本件の場合、前述のように寺師の上告人に対する損害賠償請求権の総額は明らかではないが、仮に、これを一二〇万円であるとした場合、療養の給付の終了前に保険会社から支払われた額は、平成元年三月一五日までに支払われた合計一〇〇万円であり、他方、昭和六三年九月四日から平成元年四月八日までの療養の給付に関して被上告人が代位取得を主張する額は二〇万三二〇六円であるから、被上告人において、少なくとも二〇万円に相当する損害賠償請求権を代位取得し得ることは明らかであるものの、それを超える額を代位取得し得るためには、それに相当する療養の給付が同年三月一五日の損害賠償額の支払前にされたことを明らかにしなければならない。)。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎)

上告代理人江口保夫、同江口美葆子、同豊吉彬、同窪田雅信の上告理由

原判決は、左記理由により被上告人の請求を全面的に認容しているが、後記第一点以下のとおり、原判決には判決に影響を及ぼすべき自動車損害賠償保障法並びに国民健康保険法の解釈適用の誤りがある。

一 国保法六四条一項に定める代位取得は、療養の給付については、療養の都度保険者の負担部分が当然に保険者に移転する。

二 自賠責保険の支払いは療養の給付がされた後であり、その時点において被上告人は既に損害賠償請求権を代位取得したものであることが明らかである。仮渡金はその性質上損害賠償金として支払われるものではない。

三 国保法六四条二項にいう保険給付と損害賠償とが「同一の事由」の関係にあるとは、保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害とが同性質であり、保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいうものと解すべきであって、単に同一の事故から生じた損害であることをいうものではない。

自賠責保険から別紙自賠責保険支払状況一覧表記載のとおり支払われた一二〇万円は、右同一の事由の関係にない損害が含まれており、治療費についてみると、被保険者たる寺師が負担すべき一部負担金についてのみ損害として支払われているものであって、療養に要した費用のうち保険者たる被上告人が負担した部分は全くこれに含まれておらず、これによると右自賠責保険の支払いをもって被上告人が負担した費用について上告人から損害賠償があったとはいえない。

よって、上告人は、被上告人に対し、被上告人が昭和六三年九月四日から平成元年四月八日までの間で負担した療養給付費用金六七万七三五五円のうち上告人の過失割合相当額二〇万三二〇六円を支払うべきである。

第一点 1 原判決は、被上告人のした療養給付全期間について代位取得を認め、その間に為された自賠責保険からの支払いは国保法六四条二項に定める「同一の事由」の関係にないとする。

その理由として原判決は、自賠責保険実務により現に自賠責保険から支払われた金員の支払先、支払額を前提に「本件事故において自賠責保険から支払われた一二〇万円は、治療費についてみると、被保険者たる寺師が負担すべき一部負担金についてのみ損害として支払われているものであって、療養に要した費用のうち保険者たる被上告人が負担した部分は全くこれに含まれて」いないからであると言う。

しかしながら、本件で問われている問題の本質は、上告人が自賠責保険を介して賠償額の支払いをしたということについての法的評価であり、自賠責保険が何時、誰にいくら支払ったかではない。

2 自賠責保険のする賠償額の支払いは、損害費目とは関係のない無色透明なものである。自賠責保険実務が賠償額支払いのための算定及び支払方法の基準を有していても、それは自賠責保険の付保を法律で強制した結果、限られた保険金額の中で配慮すべき各種の政策目的を達成しようとするための便宜上のものであり、その支払基準、支払方法を加害者が勝手に変更することは許されず、為に自賠責保険からの支払額も、損害費目を限定して請求及び支払いが為され流用を許さないとするものではないのである。

右のとおり、自賠責保険のする賠償額の支払いが無色透明なものであり、損害費目を限定して請求及び支払いが為され流用を許さないとするものではないとするなら、例え国保法六四条二項の「同一の事由の関係」の定義を、原判決どおり「(国民健康)保険給付の趣旨目的と民事上の損害賠償のそれとが一致すること、すなわち、保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害とが同性質であり、保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合」とし、「民事上の損害賠償の対象となる損害のうち、国保法による療養の給付が対象とする損害と同性質であり、従って、その間で同一の事由の関係にあるといえるのは、財産的損害のうちの療養に要した費用(治療費)のみである」としても、自賠責保険からの支払いをどの損害費目の支払いに充当するかは加害者の自由に委されているのであるから、国保の取得した損害賠償請求権の支払いに充当する旨、上告人側で援用した本件にあっては、被上告人の代位取得した損害賠償請求権は、自賠責保険からの支払いにより消滅したというべきである。

従って、右のとおり、自賠責保険からの支払いの法的性質を看過し、自賠責保険からの支払いに対する法的評価なくして為された原判決には、判決に影響を及ぼすべき明らかな自動車損害賠償保障法の解釈についての違背があり、その破棄は免れないものである。

因に、政府は労災保険の第三者求償において、求償額については従来、保険給付と同一の損害項目ごとに算出していたが、福岡高裁平成元年一一月二九日判決(平成元年(ネ)第一七二号債務不存在確認請求事件)が出された結果、これまでの算出方法を改め、平成二年六月からは労災保険の保険給付を受ける被災労働者の損害額を考慮して求償額を算出することにしている。換言すると、労災保険が受給者に対して保険給付した場合、政府の求償は、保険給付額を支払った時点で把握できる受給者の第三者に対して請求できる損害賠償請求可能な人的損害額のうち、慰謝料等を除く保険給付と同一事由による①積極損害(治療費及び葬儀費)、②消極損害(休業損及び障害または死亡による逸失利益)の合計額と保険給付額とを比較して、いずれか低い額を求償することとし、その後受給権者の損害総額、すなわち、労災保険で支給が認められていない慰謝料等を含む人的損害総額が示談の締結及び判決等により確定した時は、当該受給権者の損害総額に基づく損害賠償請求可能額を求償の限度として、これまで求償した額との調整を図ることとし、以来そのような求償事務を行っている。

右求償額の算出方法の変更は、上告人の前述の自賠責保険における賠償額の支払いは、損害費目とは関係のない無色透明なものであるとの主張を裏付けるものであり、労災保険の求償と国保の求償いずれにおいても自賠責保険についての法的評価や取扱いは同一にすべきである。

なお、右福岡高裁平成元年一一月二九日判決の一審である熊本地裁平成元年二月二八日判決では以下のとおり判示している。「被害者に対する自賠責保険の給付は、その実質は加害者のなす民事上の損害賠償義務の履行にほかならない。従って、仮に、自賠責保険からの被害者に対する支払いが、被害者の請求及び自賠責保険の独自の損害算定基準に基づき、各損害の項目ごとに、金額を明示してなされたとしても、それは保険の限度内においての給付額を算出するための便宜にとどまり、加害者の民事上の損害賠償額を最終的に確定するについては、何ら拘束力を有するものではなく、自賠責保険からの支払金は、これによりその金額の限度において被害者の損害(人損)が填補されたものとして、損害賠償額から一括控除して差支えないものといわねばならない。このように取扱うことが、被害者の迅速的確な保護の保障と関係当事者間における煩瑣な求償手続の回避とを可能にし、自賠法の目的及び損益相殺の法理に適うものというべきである。」

第二点 仮に前記二、で原判決の言うところが、「被上告人は、昭和六三年一〇月一八日までに金二八万一九八八円の保険給付をしており、右同日までに右同額の損害賠償請求権を代位取得しており、自賠責保険の支払いはその後であり、本訴請求債権額は右金額以下である」という意味であれば、右理由が誤りであることは、右金二八万一九八八円をその時点で上告人に請求したと仮定すれば、訴外寺師の過失割合分七割が減殺され、三割即ち金八万四五九六円(円未満四捨五入)の限度でしか損害賠償請求権の行使が認められないことと対比すれば明らかである。被上告人の代位取得も、訴外寺師に発生する権利を限界とするものである。

第三点 原判決は、さらに自賠責保険の仮渡金は、その性質上損害賠償とは言えないとするが、仮渡金制度を定めた自賠法一七条第一項によれば、仮渡金請求は、「保有者」による自動車事故の場合のみこれが可能であり、保有者以外の運行供用者による自動車事故については仮渡金請求をすることができない。このように仮渡金請求が保有者による事故の場合にのみ可能とされている理由は、仮渡金請求が責任保険契約に基づく保険金(賠償額)支払いの特別措置として認められたものであり、責任保険契約の契約者たる保有者の責任額(保険金)に関する権利の代位行使的性格を有するからである(注解交通損害賠償法鈴木潔外三名青林書院新社一五五頁)。

また、自賠法一七条一項によれば、仮渡金は、自賠法「一六条第一項の規定による損害賠償額支払いのため」に仮渡金として支払われるものであり、保有者の責任の有無及び賠償額が確定してから被害者に支払われる金額から仮渡金の額だけ控除されるのであるが、このことは、全体としての損害額が未確定であっても損害賠償額を先払いすることは可能であり、損害額が確定した段階でその過不足を清算すれば足りると理解できるから、仮渡金の支払いは、やはり損害賠償額の支払いであると言わざるを得ない。

自賠法一七条三項が、仮渡金の金額が支払うべき損害賠償額を超えた場合には、その超えた金額の返還を請求するという清算規定を設けていることも、仮渡金が損害賠償額であることを示しており、仮渡金の支払いは、「その性質上、損害賠償とはいえない」とする原判決は、この点でも自動車損害賠償保障法の解釈適用に誤りあるものである。

第四点 1 本件では、国民健康保険法により国保が療養給付をしたということと自動車損害賠償保障法に基づき自賠責保険が支払いをしたということとの関係をどのように考えるかが根本的な問題である。

両法とも法律として同位の関係にあるから一方のみを優先させるべき謂れはない。

2 この点、交通事故による被害者が交通事故により被った傷害に対する治療につき国保を利用することは認められているのであるから、交通事故による被害者が、国保を利用する時は、国保に対する療養の給付についての請求権と自賠責保険に対する被害者請求権とが併立して発生する。この関係は、被害者に対し、国保と自賠責保険とが連帯して債務を負担しているもの、そして国保が自己の負担した療養給付につき被害者の損害賠償請求権を代位取得してその権利を行使することは連帯債務者相互間の求償権行使と同一視することができる。

また自賠責保険に対する被害者請求と国保のする自賠責保険に対する請求は、法律上同位の請求権に基づくものであり、何れが優先するという規定もないので、民法上の先取主義(民法三〇三条参照)の考えが援用されている。

このように、国保と自賠責保険とが交通事故による受傷者に対し連帯債務者の関係にあるということであれば、民法四四三条第二項は、連帯債務者の一人が弁済した時は、他の債務者に弁済の通知を為すべく、その通知を怠ったことにより、他の債務者が善意で債権者に弁済を為し、その債務の免責を得たる時は、他の債務者は自己の弁済を有効なものと看做すことができると定めているのであるから、本件においても、国保は、その支払い(療養給付)をした時は他の債務者である自賠責保険に対して通知をすべきであって、国保がこれを怠り(怠ったことは甲第一〇号証から明らかである)、自賠責保険が善意無過失(自賠責保険は、被上告人から後記保発一〇六号による通知を受けていないから責められるべき過失は無い)で支払いをすれば、国保との関係では自賠責保険のした弁済が有効と看做される結果、国保が代位取得した損害賠償請求権の行使(連帯債務者相互間の求償権行使)は許されないことになる。

3 また右のような関係があるからこそ、国保からの求償事務について、厚生省は、関係機関(運輸省自賠責保険課、自動車保険料率算定会及び全国共済農業協同組合連合会)と協議を続け、その協議の結果を昭和四三年一〇月一二日保発第一〇六号(乙第八号証)として、本書添付別紙「取扱い要領」に要約したとおり各都道府県民生主管部(局)長宛通知し、法律の欠陥乃至は間隙を埋めるものとして公的にも求償手続が確定した。

この要領では、国民健康保険からの求償事務について、保険者(全国の自治体)は保険給付を行った時は、自賠責保険を取扱う保険会社の管轄店に文書による照会(債権譲渡における対抗要件としての通知に準ずる)をすることとされ、この要領どおり求償事務を実施することにより、本件の如き加害者に求償訴訟をすることなく、自賠責保険からの支払いが為され、求償事務が、円滑に行われているものであり、被上告人のみが右取扱い要領に従わず徒らに事を紛糾させているものである。

4 従って、国民健康保険法と自動車損害賠償保障法との間の調整を図る合理的かつ合法的な「求償事務取り扱い要領」(乙第八号証)の定めを無視して為された原判決には右両法の解釈適用を誤った違法があり、この違法が判決に影響することは明らかである。

第五点 被害者の国保に対する療養給付についての請求権と自賠責保険に対する被害者請求とは前述のとおり連帯債務の関係にあるが、仮にこれが認められないとしても、被害者の国保に対する療養の給付についての請求権と加害者に対する損害賠償請求権とが同じ原因により同時に発生し、国民健康保険の保険者が保険給付を行った時は、国保法六四条一項によると国保の保険者は被保険者が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得するものとされており、同条二項では、被保険者が第三者から弁済を受けた時は保険者は、その価額の限度において保険給付を行う責を免れるとされている。つまり、被害者が二重弁済を受けることを防止することが定められているのである。厚生省による国保の求償事務取扱指導においても、二重払いの防止を全国の自治体に対し、周知徹底指導がなされている。

従って、右両債権は、二重に弁済を受けられないという意味で民法の定める連帯関係に類似しているから、一方からの弁済があった場合の効果については民法四四三条の規定する連帯関係の法意に鑑み、同条を類推適用すべきが至当である。

すなわち、被上告人が、保険給付を行った時は、上告人に対し、弁済した旨の通知をすべきであり、にも拘らず、通知を怠ったため上告人がその事実を知らず、自賠責保険に対する被害者請求がなされた時点において、自賠責保険会社から上告人に対してなされる照会(自賠法施行令第四条)について上告人において被上告人からの求償がある旨の意見を述べられないまま、自賠責保険を介して弁済したのであるから、その弁済は善意、且つ無過失で為されたものであり、同条により有効な弁済と見做される結果、被上告人の求償権は行使し得ないものと解すべきである。

第六点 上告人の自賠責保険を介した支払いは、民法第四七八条による債権の準占有者への弁済として上告人の被害者に対する損害賠償債務は消滅し、被上告人の求償権も行使し得ないものと解すべきである。

すなわち、寺師は上告人に対し、本件交通事故による損害賠償債権を取得するが、自己に過失があるため過失相殺され、その債権額は金一二〇万円に満たないものであるところ、治療について国保から給付を受けているので、右債権の内、国保の療養給付額相当部分については請求権を失うも、被上告人は、国保として療養の給付をしたことを上告人及び自賠責保険会社に対して通知しておらず、上告人及び自賠保険会社は国保から療養の給付が為されていることを知らなかったことにつき無過失であるから、自賠責保険が支払った時点においては訴外寺師は右民法第四七八条にいう債権の準占有者に該当するものである。

従って、上告人の自賠責保険を介した支払いは、善意無過失であるから、有効な弁済と解され、被上告人の債権は消滅乃至は行使を許されないものと解すべきである。

第七点 被上告人の求償権行使は権利の濫用として許されないと言うべきである。

自賠責保険の意義は、自動車事故による被害者を救済するための加害者の賠償能力の確保にあり、自賠責保険の運用源資は保険契約者の支払う保険料であり、被害者に対する保険金の支払いは、あくまで加害者の賠償義務の履行に代わるものである。

従って加害者が被害者に支払った賠償金について、加害者から自賠法一五条による保険金請求があった場合は最優先して加害者に支払われ、保険金額の限度額から右一五条請求額を控除して、残額が被害者に支払われるものである。

また、国保の第三者に対する求償事務についても、前述の「保発一〇六号」によると、国保からの求償と自賠法一五条請求とが競合した時は、「傷害による損害の場合、法一五条請求を優先とする。」(乙第八号証、七枚目)と規定されており、国保による自賠責に対する求償請求も、加害者による一五条請求を優先させる旨が規定されているのである。

しかるに原判決判示のとおり上告人が被上告人の求償請求に応じなければならないとすると、被上告人の求償事務取扱い規定(保発一〇六号)の通知懈怠により、上告人は自賠法一五条請求権も失う結果を招来することとなり、保険料を支払った加害者のみが、自己の賠償義務の範囲を超えた負担を強いられることになり、損害賠償の公平な負担の精神に悖ることとなる。

右のような不合理な結果は、あくまで法の不備・法の間隙を補填しようとする政府の政策を無視した被上告人の不作為に原因するものである。

従って、被上告人は、その手続懈怠により上告人に自賠法一五条の請求権を失わせたものであるから、求償権の行使は権利の濫用として許すべきではないと解するのが至当である。

以上

自賠責保険支払状況一覧表

支払日

支払金額

支払先

備考

1

昭和63年10月19日

200,000円

寺師富士雄

2

平成元年2月17日

18,834円

国吉診療所

3

平成元年2月17日

381,166円

寺師富士雄

4

平成元年3月15日

400,000円

同上

5

平成元年5月11日

200,000円

同上

(別紙)

国民健康保険における自動車損害賠償責任保険等に対する求償事務の取扱い要領

第一、趣旨

自動車による保険事故に関し、保険者が国民健康保険法六四条第一項の規定に基づき、被保険者の第三者に対して有する損害賠償請求権を取得した場合において、保険者と、自動車損害賠償保障法に基づく自動車損害賠償責任保険(以下「責任保険」という)の管轄店等との間に損害賠償額等についての照会、回答の方途を確立し、保険者の求償事務の円滑な処理を図ろうとするものである。

なお責任保険等による保険金額等でまかなえない部分について加害者に対し請求できる。(本件は後記の通り遅滞なく、様式に従い管轄店に照会していれば責任保険金でまかなえるものである)

第二、事務処理の方法

1、市町村長及び国民健康保険組合の理事は、国民健康保険の保険給付が自動車によって生じたものであると認めたときは、自賠法に基づく責任保険……の損害賠償額、保険金……仮渡金の請求の有無、支払(予定)年月日、支払金額等を管轄店(自賠責保険の管轄店という)に対し、様式2により照会すること。

2、前記1の照会に対しては、管轄店……は損害賠償額(内払金を含む)、保険金、……仮渡金の請求の有無、支払(予定)年月日、支払金額、受領者等について、様式3により市町村長あて遅滞なく回答されるものであること。

3、市町村長は、2による回答により損害賠償額が支払われておらず(回答が発せられた日から一五日以内に支払われる見込みのある場合を除く)或いは保険金……又は仮渡金の請求が行なわれていないなど求償可能と認めた場合は、遅滞なく損害賠償額の支払いを請求することとし、次に掲げる書類を管轄店……に送付すること。

(1)〜(5)(書類の内容略)

第三、(略)

第四、責任保険との協議について

責任保険と国民健康保険について管轄店、査定事務所との間に問題が生じた場合には、具体的な事情を明らかにして、厚生省保険局国民健康保険課あて連絡すること。

第五、責任保険の積算基準について

市町村長等の求償に対する責任保険の積算は、別紙「労災保険等他の社会保険の給付ある場合の取扱いについて」によって行われるものであること。

別紙

2、求償と法第一六条請求との意合の場合

(1) 傷害による損害の場合

a、損害額合計が認定限度額に満たない場合は、求償に対しては求償額を、法第一六条請求に対しては合計額から求償を差引いた額をそれぞれに支払う。

3、求償と法第一五条請求との競合

(1) 傷害による損害の場合、法第一五条請求を優先とする。

(右規定は加害者請求に対し優先支払う旨定められたもので、本件は損害額合計が法限度額に満たない場合であるから、加害者は優先弁済を受ける権利があるので被控訴人から控訴人(加害者)が求償を受けない場合に該当するものである。)

国保療養給付状況一覧表

(単位;円)

治療期間

期間内に要した医療費

保険給付額

(期間内に要した医療費×0.7)

S.63.9.4~S.63.9.30

238,840

167,188

S.63.10.1~S.63.10.18

164,000

114,800

S.63.10.19~S.63.10.31

91,070

63,749

S.63.11.1~S.63.11.30

225,020

157,514

S.63.12.1~H.1.4.8

248,720

174,104

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